わたくしごと

私の職種は言語聴覚士。専門は小児です。

とある総合病院の今は亡き療育外来という部署で、

小児神経医、理学・作業療法士、保育士さん達とチームを組んで、

療育や訓練・指導を毎日行っていました。 


しかし、
部署の廃止、結婚の時期も重なり
充実していた日々の仕事場を
泣く泣く辞める。

その後、ご縁をいただき、
地域医療に力を入れていた、療養型病院に。
訪問リハやデイケアの皆様の
摂食嚥下等の評価や訓練をしながら、
ことばの育ちや訓練など、希望される方はずっと受け続けていました。

その時にある進行性疾患の患者さんに出会い、

胃ろうはしないことや、生き方をサポートしていく中で、

時間は有限、と感じるようになり、

その方が急死されたとき、
私も本当にしたかった生き方、働き方をしよう
と決め、
病院を退職し、学生の時から考えていた

フリーランスの道に踏み出しました。


そして
早くも10年以上。

今では、様々な方のご縁をいただき、
広く浅く、地域密着、呼ばれた所は遠慮なく伺わせていただく事が出来るようになりました。

親御さんが、生活される場所で
サポートが出来るのが一番。
専門職がその場に伺えばよい。
私の変わらない信念です。

これからも変わらない。私が出向きます。


時代も変わり、地域に施設も増え始め、

良い時代になったな、と感じています。

まだ、この仕事に関わらせていただき幸せです。


そして、
趣味はドライブ。
国家試験に受からなければ、

本気で中距離トラックの運転手になろうと

思っていたので、
往復4時間の仕事場も気分転換になるし楽しんでます。
私と共に動きまくる車(軽!)は、まだ新車購入6年たたずに
21万キロを更新中。


こんな、私の職歴です。


ここからは、生い立ちになるので興味のない方はスルーしてください。



北陸の田舎育ち。

生まれた時代には数少ない核家族の末っ子。姉・兄はいたけれど、年が離れていたので、兄弟ゲンカを知らない一人っ子みたいに育ったかと。
幼児期は、遠い親戚にあたる大ばぁちゃんが母の強力な子育てパートナー。
朝早く大ばぁちゃん家に車で送られ預けられ、
そこから大ばぁちゃんの一輪車に乗って(!)近所の保育園に。帰りも早く乗りたくてウズウズしてました。
母が来るまで大ばぁちゃんちにいるのも楽しい時間。
口悪い心優しきおんちゃん(大ばぁちゃんの息子)に、『ボウ、なにしてんや?』と遊びを突っ込まれていた様な。
仕事終わった母の車に渋々乗りこみ、大ばぁちゃんに見えなくなるまで手をふってたなぁ。

母の隣で、うじうじしている、おとなしい子どもだったと思います。

学童期は、『この子はリズム感がよい!』と園の先生に言われた言葉を信じ、

母がどうしても習わせたかった日舞・モダンバレエの教室に通うように。ピアノも姉の影響で通う。

嫌いではなかったので両方高校まで続けていましたが、

本当に踊りが芸能が好きだったのは姉の方で、母はそのことに気づかずに私を先に習わせていた。

共働きで、両親やが帰るのが遅いと、『20時』すぎると、泣いている子どもでした。

ただ、母と共にいることが多い私は、姉に『ちゃっかりなお』と言われるように、

みんなと一緒の量のお菓子を先に食べ、まだある姉のお菓子をじねっともらう子どもでした。

(だって、末っ子だもの)


そして、中学は、部活(吹奏楽・フルート)に没頭。

高校も一択、吹部に入り定期演奏会が出るのが目標で、地元の普通高校へ。

あなたは普通科で受かるかどうか心配だった、と、合格を聞いた校長室で担任が言っていた記憶あり。

母には『落ちたら、日舞の腕があるんだし、京都の舞子さんに行け』言われていました。(本当です)


高校は実に楽しくて、部活に没頭する。

進路は、フルート奏者になりたい、と思っていたが、ピアノの成績が上がらず、

普通科に入った時点で、遅すぎることに気づき、趣味でおこうと地元の市民楽団にも所属。

次になりたいのは、臨床心理か教育か、と考えていたが、頭がなく断念。

そのころ、姉が医療ソーシャルワーカーとして働き、

今からの時代は言語療法士がいいよ、と提案あり。かつ、保育士をしていた従妹からのおすすめもあり、

リハビリの道へ行こうと、探すと地元の専門学校であり!やった!

進路は決めたが、賢さは平均値(より下だった気が)、専門学校でも危ないお頭。

3年の夏からは就職だ・推薦だ、とクラスメイトが決まっていく中、数人で補習の日々。

1次試験で受からない、と思っていた担任に、合格通知を持って行った時は、

紙を天井に向け『あぶり出しか???』と、『不』の文字を探される始末でした。


専門学校(現在は大学になりました)は、クラスメイトは21人で始まり15人で卒業。

真面目に勉強して、何とかついていきました。

つらい臨床実習も、今となっては楽しい思い出。

色んなことがあっても、臨床は小児に、の気持ちは変わらず。

学校のリハの先生も発達心理系に強い先生が多く、

20年以上前の時代から、ダウン症のお子さん、自閉症の方との関わりをもち、

関わらせていただける機会は多かったと思います。

就職先も地元で見つかるか不安でしたが、学校付属の病院には療育機関があり、就職を勧めていただき、

就職してからも、学校の先生・療育のスタッフの皆さんに育てていただいていました。


ホント、私は、運がよい、ラッキーな人だ!と思っています。

人とのつながりに感謝です。